ココ・シャネルの人生は壮絶だった!経歴や本名と心に刺さる名言を紹介

ココ・シャネル

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ココ・シャネルの生涯については、これまで小説や映画で幾度も語られてきたほどに壮絶なものでした。

女ひとりでパリのオートクチュール界にまで上り詰め、「シャネル」というブランドを確立させたそのモチベーションはどこから湧いてきたのか?

シャネルの生き方にその答えがありました。

そこで今回は、そんなココシャネルの壮絶な生き方や経歴についてを簡単にまとめてみました。

また、シャネルが残した「女性に刺さる名言」についてもご紹介します。

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ココ・ シャネルのプロフィール

本名: ガブリエル・ボヌール・シャネル(Gabrielle Bonheur Chanel)

愛称:ココ・シャネル

生年月日:1883年8月19日

出生地:フランス、メーヌ=エ=ロワール県ソミュール

国籍:フランス

職業:ファッションデザイナー

死没:1971年1月10日(87歳)

シャネルの経歴

シャネルは、フランス南西部のオーヴェルニュ地方に生まれる。

15歳のときに母親が他界し、姉とともに修道院にはいる。

シャネルは幼少期から好戦的な性格をしており、当時からお洒落が好きで、修道院で学んだ裁縫の技術がのちにブランド「シャネル」を形づくる基礎となる。

修道院を出た後、身に着けた裁縫技術を活かし、ムーランの洋品店のお針子として働き始める。そのお店に将校が訪れ、そのうちの一人の資産家と恋に落ちる。

それをきっかけに、将校の集まるカフェで歌を披露するポーズ嬢を見て、歌手を目指す。

ポーズ嬢としてデビューした際に歌った歌「トロカデロでココを見たのは誰」にちなんで、「ココ」という愛称で呼ばれることとなった。

その後、どんなに努力をしても、歌手としての仕事は取ることができず、その道を断念する。

そして、兵役を終えて故郷に帰る将校に拾われ、ついていくこととなる。

その当時に趣味で作っていた帽子を、女優に見初められたのをきっかけに、ファッションデザイナーの道を歩み始める。恋人、アーサー・カペルの出資により、サンノトレ通りにほど近い「カンボン通り21番地」という場所に「シャネル・モード」というブティックをオープンさせる。

その後、帽子だけでなく、洋服のデザインも手掛けることとなる。

ブランド「シャネル」の歴史は、20世紀ファッションの歴史といっても過言ではないほど、当時のファッション界に影響を及ぼした。

シャネルは、当時のファッションにおいて基本であったコルセットを永遠にファッション界から追放するという偉業を成し遂げた。

また、当時喪服というイメージしかなかった「黒」を、シンプルさとエレガンスさを追求するアイテムとして初めて用いたデザイナーである。

他にも、機能性を追求したファッションを次々と発表し、女性からの支持を多く集めた。それは、「女性がパンツを履くスタイル」や、ショルダーバックを生み出したことである。

シャネルは、「女性が美しくそして力強く表現されること、女のからだと心を解放する」という一貫したポリシーを持ち、シャネルというブランドは、デザイナーであるシャネルとともに伝説的となっていく。

1916年にシャネル・オートクチュール・コレクションを発表し、オートクチュール・デザイナーとして本格的にデビューする。

当時、男性の下着素材であったジャージに目をつけ、ジャージ素材のドレスを発表し、上流社会の話題を呼ぶ。

そして、ピアリッツに本格的なクチュールのブティック、「メゾン・ド・クチュール」をオープンする。

 1926年には、リトル・ブラック・ドレスを発表し、雑誌ヴォーグのアメリカ版で絶賛される。

1928年には、ツイードのスーツを発表する。

また、1929年には、パリカンボン通り本店にアクセサリー部門を置く。

その頃、シャネルの香水「シャネルNO.5」が世界一の香水の売り上げを達成する。

この香水も、シャネルの名を世に知らしめたもののひとつであり、マリリン・モンローが「夜寝るときはシャネルNo.5」という名言を残している。

その後一時モードから撤退していたシャネルが70歳で再びモードの世界に戻ることを決意し、パリでのコレクションで発表した青いジャージ素材のスーツが大ブレイクを果たし、「シャネル・スーツ」の愛称で熱愛される。

 1955年には、アメリカ・ダラスにて「20世紀の最も偉大なクリエーター」として、モード・オスカー賞を授与される。

世界で愛されるブランドとなったシャネルだが、1971年にパリのホテルリッツでガブリエル・シャネルがこの世を去る。

シャネル亡き後、ブランド・シャネルはしばしば低迷期を迎える。

1983年、カール・ラガーフェルドがシャネルのコレクションを担当する主任デザイナーに就任し、新しいシャネルを提案したことで、シャネルブランドに息吹を取り戻すことに成功し、現在のシャネルに至る。

20世紀のトレンドの流れは、女性のライフスタイルの変化、それにともなう社会性の進化によって生まれるものだったが、そのすべての礎を築いた存在がシャネルであり、その事実が20世紀を代表するデザイナーとして今でも輝き続ける真実である。

ココ・シャネルの残した名言

1.「シンプルさはすべてのエレガンスへの鍵」 

2.「私は流行を作ってるんじゃないの。私が流行なの」

3.「かけがえのない人になりたいのなら人と違っていなければいけない」

4.この世でいちばん素晴らしい色は、あなた自身を輝かせる色」

5.「20歳の顔は自然からの贈り物、30歳の顔はあなたの人生。でも、50歳の顔は貴方の功績よ」

ここでは一部しかとりあげませんでしたが、ココ・シャネルは生前にいくつもの名言を残しています。

シャネルの名言集もいくつか出ているのでもっと知りたいという方はぜひ一読してみてください。

まとめ

シャネルは現代のモード界の楚を築いたともいえるほどの功績を残しました。それは彼女の才能だけでなく、運によるものも非常に大きかったことがわかります。

また、今までの常識を覆すような発想をし、それを実行に移すというのは、勇気もいるだろうし、強い信念がなければできないことだと思いますが、シャネルは幼少期から負けず嫌いで自分が注目を浴びる存在になりたいと思い続けていたからこそこのような素晴らしい功績を残せたのだと思います。

現代でも、その人生や考え方が女性から支持され憧れられ続けるココ・シャネル。

私たち女性にとっては、彼女のように強く、女性らしく生きようという指針を与えてくれる存在です。

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